教えたがりを手放すと人生楽しい

ちょっと前ですが、やっちまったなー、と思うことがあり
自分がある種の軸としている考え方とそのわけをお話しします。

それは、聞かれない限り、あれこれ人にアドバイスをしないこと。
教えたがり、おせっかいにならない、ということです。
聞いてないわ!という意味を込めてなのか、
「クソバイス」と呼ばれたりしますね。

我が身を振り返ると、歳をとるとつい、疲れているとつい、
やってしまう瞬間があるので、要注意です。


※佐木港から本州を眺めるとすっかり緑が濃くなっていました@三原市

自分がされたくないから

なぜやらないかのいちばんの理由。
それは、自分がされたくないからです。

これは性格なのでしょう。
わたしは幼少時から、やりたいようにやりたい人間でした。

特に小さい頃だと、なにかと大人や少し年上の人間が
何かと手助けしようとしてくれるじゃないですか。
あ、これをとって欲しいの?とか。
何探してるの?とか。
こう言われるのが大っ嫌いだったのです。

元々とって欲しいものだったとしても
いいえ、違います、と返したことが何度あったか。
ひねくれ者といえばそうかもしれません。

先回りして指図されるのが邪魔にしか思えなかったのです。
今もそうですが。

人の人生を奪うと思うから

人の親切をそんなふうに言うなんて!
と言われたこともかつてありますが、あえてハッキリ言います。

わたしにとって、頼んでもいないアドバイスをしてくる行為は
わたしの人生を奪う行為に他ならない、と思っています。

どんなにまどろっこしくても、いくら無駄道を通っても
一文無しスレスレになったとしてもいいんです。
自分で考えて、自分の足で自分の人生を歩みたいのです。

今やりたいと思うタイミングで動きたいし、
休みたいな、と思った時も同じです。
食べたい時に、食べたいものを食べる。
ひとりで過ごしたい時、人といたい時、すべて自分の心で決めたいです。
自分の頭で考えて手足を動かせる間は、そうしたいと思っています。

誰かにこうしろ、ああしろと言うのは、同じ理由でできません。
たとえ、その相手が我が子であっても。

ある種の横着だと思うから

そして、もう一つ、他人にお節介を焼くのが嫌な理由があります。
それは、一種の横着、サボリだと考えるからです。

自分がやりたいことを実現していくにはそれなりにリソースが必要です。
体力はもちろんですし、時間もお金もかかるものです。

でも、人に言うだけってどうでしょう?
言うだけでやりっぱなし、実に楽じゃないですか。
これがなんだかなあ、と感じます。

あれこれ「教える」ことにより、優位性も感じられるのか、
さらには、いいことした気分になるのか。
脳みそが横着しているように思えて嫌なのです。

聞かれてもいないアドバイスが口から出そうになったら、
もっと働けよ!と心の中で自分の頭にいうことにしています。
余計なことを言わない婆さんを目指して日々鍛錬です。

 

 

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