人との交流こそ成長の起爆剤

いろいろな人と交流して初めて人間は成長できるものだと感じます。
このところ、最もわたしに刺激を与えてくれたのは、
島でゲストハウスをオープンして初めて来てくれたオランダ人のお客さんでした。

そろそろ60歳を迎える方でしたが、とにかくお茶目なのです。
中国地方もとうとう梅雨入りしてしまいましたが、
彼が到着した日は、初夏の風が気持ち良いお天気の日。

我が家に着くなり、ワオ、素敵なビーチ!
と目の前のビーチに入り、そしてすぐ近くの別のビーチをはしごしたのには驚きました。
まだまだ水温は低いですからね。

行動の端々から自由が滲み出ている彼の姿を見て、
わたしが受けた刺激をまとめてみました。


※え!今から泳ぐんですか(夕方でした)

年齢はただの数字である

頭ではわかっていたつもりでも、
全くそうでなかったな、と思ったのが年齢について。

彼に限らず我が家を訪ねてきてくれたサイクリストも含め、
皆、年齢を理由に行動を決めることがないのです。
年齢なんて、法的な手続きに必要な事はあっても普段気にする事は無い。
そんなイメージです。

くだんの彼も、もう還暦にもなるのに大人しくしておかないと、なんて思わないから
500キロ近く長い道のりを運転してきた後であっても、さぁ海に入るか、となるのでしょう。
むしろその行動に驚かれることに驚いていそうな印象です。

海だって自分が入れそうと思うなら入ればいい。
そうでなければやめておく。
実に清々しい自分軸です。

自分がやりたいことをやりたいタイミングでやる

ああ、潔い、と思ったのが食べる時間もあまり縛られていないことでした。
お昼になったから食事しないと、とは対極なのです。

お腹が空いたらその時に欲しいだけ食べる。
そうでなければ気にせずスルーして当たり前。

そろそろ食べなくちゃ、とつい自分の体に聞かずに
時間ばかり見てしまう自分を少々反省しました。

前述した海水浴「事件」も、とりあえず自分が今やりたいからやると言う感じでした。
そろそろ夕暮れであたりが薄暗くなりかけた頃にいそいそと海に出かけて行くのですから。

家族が必ずしも一緒に過ごさなくていい

印象的だったのは、家族だから一緒に過ごさなければ、
という囚われが全くないことでした。

離婚経験があり、今のパートナーとはとても仲良しだが
ずっと別々に暮らしており、今後もそのつもりだ、と。
また、子供たちも本人たちが好きなタイミングでのみ遊びに来るとのこと。

子供の誕生日ぐらい一緒に過ごさなければいけないとか、
クリスマスだから一緒にいるとかそういうのは無いようです。
とはいえ、クールな息子にはもうちょっと顔を出して欲しそうではありましたが。

自由に生きてそうとよく言われますが、
つい、こうあらねば、に傾きがちなわたしです。
文化のまるきり違うゲストたちから良い刺激をいただけることに感謝しなければいけません。
自分軸で心地よい暮らしに一歩ずつ、成長していきたいものです。

関連記事

PAGE TOP