病院がない、コンビニがない、交通網がほぼない。
ないないづくしの、しまなみの端っこ、佐木島に暮らして約2週間。
そんな島民ビギナーのわたしが思う、ないからこそできることをお話しします。
そもそもない、あるいは少ない、は必ずしも不幸では無い、と以前に書きました。
今回は積極的にないことを楽しむ、と言うとちょっと語弊がありますが、前向きに「ない」を捉えてみます。
※監視員さんなんていないビーチ だからこそ自分の頭で、安全に遊ぶ工夫ができます@三原市・佐木島
頭を使う
1つ目は選択肢が少ないからこそ、頭を使えることです。
何かやりたいことがあったときにいくらでもやり方があり、
いつでもほぼ同じようにできる都市部と島とではわけが違います。
例えば、島内を循環するしまばすは平日のみの運行です。
自転車や車がなく、かつ歩きたくないけど買い物をしたい場合はどうしますか?
自力で解決するなら土日を避けてスケジュールを組めばオッケー。
もしお金の力を借りるならコープの宅配を利用するのもあり。
あるいは近所の方が出かけるついでに車に便乗させてもらうのも手です。
もしくは島内唯一のスーパーである営農センターが出張販売をするタイミングも狙えます。
場所によっては、少し歩く距離を減らして買い物も可能です。
人に頼る
2つ目は、人に頼る力を自然と磨けることです。
インフラが都市部ほどに整っていないということは、
すなわち自分とお金だけでは解決できない部分が多いということです。
そこを埋めるのに重要になってくるのが他人の力です。
ちょっと港まで車で送ってってくれないかしら?なんて都市部ではまず言えないことですが、
島ならじゃあついでがあるからいいよ、と言ってくれる方が大勢います。
顔を見れば、島のものかそうでないかがわかるほどの濃ゆい人間関係があるからこそ機能するやり方です。
どこの誰がこの時間帯に大体何をしてるかがほぼ周知されている世界。
これを不愉快に感じない限りはその波に乗っかる方が楽です。
サービスのインフラが整っていないからこそ人にも頼りやすいし、
こちらも怪しまれることなく厚意を差し出せる世界。
原始的ですが気楽さもあります。
ちなみに、わたしはお野菜や果物をおすそ分けしてくださるマダムのゴミ出しを請け負っています。
田舎あるあるで集積場が自転車で数分となかなかに遠いのです。
傲慢さを捨てる
3つ目は傲慢さを手放しやすいことです。
様々なサービスがお金さえ出せば、だいたい手に入る都会とは異なり、
小さな島では1人でできることが少ないと認識できます。
本来自分1人でできることなんて大してないのですが、
都会に暮らしていると便利なもので、まぁ何とかなってしまいますから。
島では何かやりたいことがあったときに、人の手を借りて実現できる部分が大きくなります。
なので、周りの人に助けられて生きていることをとかく認識しやすいです。
先日、客人2人を次なる目的地に送り届けるすべが自家用車を持たない私にはなく、移住者の先輩を頼りました。
この時も助けられたとつくづく実感しました。