台湾のロックバンド五月天の
「有些事現在不做,一輩子都不會做了」という曲が大好きです。
今やらなければ一生やらないことがあると言う意味です。
やりたいけどやらない、を積み上げまくってきたわたしですが、
最近はちょっとずつそれが解消されてきました。
もちろんまだまだ完璧では無いのですが、本当に動けなかった自分が
行動が早いと評されるようになるまでに考えたことを書いてみます。
動きたい方にとって行動のきっかけとなれたら嬉しいです。
※この寝顔を見るたび、島暮らしを始めて良かったと思います@佐木島・三原市
やらない後悔はしぶとく残る
一つ目は、やらなかったことって
なんだか澱のように残って気持ち悪い、という感覚です。
自分自身を振り返ってみると、やりたかったけどできなかった後悔が何十年単位で残っています。
例えば球技が苦手だからとドッチボールは逃げ回るだけでボールを取ろうとしなかったよなとか、
いわゆる女子のねっとりした付き合いが苦手で完全に避けて生活してしまったけど、
今思えばもうちょっと行動起こしてもよかったんじゃないかな?とか。
そんなことを30年以上も経った今ですら思うのです。
我ながら実に鬱陶しいです。
常に考えてるわけではもちろんないのですが、
ふとした瞬間に湧き上がってくるのがあまり良い気持ちではありません。
そう思うとこの先歳をとって物理的にできなくなることが出る前に、
やれることはやっておこうと思うようになりました。
健康は永遠じゃない
二つ目は、元気が当たり前でない、を実感したことです。
2023年にコロナに罹患し楽しみにしていた自転車の大会を完走できなかった事件がありました。
その時に痛感したのが、健康はいつまでも続くものではないし、
急な感染症で元気だったつもりでも全く動けなくなることがあるということ。
しかもこの時は渡航先のフランスでわかったものだから相当慌てました。
友人の友人がわたしの家族でもないのに、親身に助けてくれたおかげで
金銭的にもコミュニケーションでも全く困らずに済んだのではありますが、
とりあえず出場すれば完走できて当たり前と言う天狗の鼻をへし折る良い機会となりました。
大事な大会を目の前に体調崩すかも?レベルの些細なものから
今後本当に体が動かなくなると言う大きなものまで、
今の状態がずっと続くわけではないと言うことをいやほどわかった事件でした。
熱は永遠じゃない
また、前述のコロナ事件で、自分の気持ちや熱意も脆いものと気づけました。
このときの私の後遺症はびっくりするほどの無気力でした。
普段だったら行きたい場所があちこちあって、体力と時間が追いつかなくて困るのに
それが全くもって逆転してしまったのです。
たかだか感染症でこのようになるのだから、老化はもっと影響を与えるかもしれません。
自分の気持ちがあるうちにそれを尊重し、できる限り早く行動に移すのが大事です。