わたしが今月24日から暮らす佐木島。
先日、ご近所のかたに挨拶に行ったところ、
ここには何もないんよ、と口々に言われました。
本土に拠点(生家)があるのになぜ?と。
離島といえど、新幹線の停まる三原駅から目視できる範囲ですが
確かにコンビニも(信号も)なく、不便といえば不便です。
ただ、何もない、は見方によっては武器であり魅力と考えます。
現に、ゲストハウストップバッターのお客さんは
原稿の締め切りがあって、1週間集中して取り組みたいから、
という理由でやってきます。
一見価値のないように思える「何もない」ですが
その魅力を考えてみます。
※奥の方に佐木島も見えています@三原市糸崎
やりたいことに集中できる
いちばんの魅力は、気を逸らされずに集中できる。
これに尽きると思っています。
そういう意味では、トップバッターのお客さんが
執筆に集中したいから、ということで我がゲストハウスを選んでくれたのは
誇るべきことだと喜んでいます。
何もない幸せを味わいにお越しください、
と書いていてもなかなか伝わらないもので
近くにコンビニはありますか?とか普通に聞かれますから。
まあそんなものです。
ちなみに、その程度でいちいち不機嫌にはなりません。
見てない、が前提だと思っていますので。
むしろみてくれていたらラッキー、です。
何かしなければ、という気持ちを手放せる
焦りを手放せる、という魅力もあります。
実際に、2024年の7月から約1ヶ月島で過ごしてみて
あれ?心がのんびり穏やかになったぞ、という実感がありました。
自分だけかな?と思って先輩移住者に尋ねてみたら
似たり寄ったりの感想を持った方がほとんどでした。
シャカリキに働く人を目にするでもない
みたくもない広告の類を見せられるでもない
(車内吊り広告とかめちゃくちゃ苦手です)
1分程度の電車の遅れにイライラする人間も見えない
とにかく、自分のペースを保てるのです。
無駄な情報を目に入れなくて済むからでしょう。
選択疲れがそもそもない
最後に、選択疲れがないことを挙げます。
なんじゃそりゃ?と思われるかもしれませんね。
あれこれ選択肢があって、考える機会が多いと
その判断を重ねることでいつの間にか疲れていますよ、という話です。
例えば、都市部でお出かけを考えた時にはいくらでも方法があります。
いつだって好きなタイミングで行けます。
これは一見便利なようですが、
思考のリソースを持っていかれる、と思うとむしろマイナスです。
交通手段は船のみ。しかも本数も少ない。
そんな島だと考える手間はずいぶん省けます。
何もないってとても贅沢だと思います。
ぜひ味わいにきてみてください。