旅したからこそしまなみのよさに気づけた

旅好きと言うよりは、旅狂いと表現した方が適切な母のおかげで、小さい頃から日常に旅がありました。
長期休暇となれば、わが家を離れて母の行きたいところに連れられ国内外問わずあちこち出かけていました。
帰りの飛行機の中、後回しにしていた作文を半泣きになりながら仕上げた記憶もあります。

旅の経験値がすこし多めなわたしだからこそ気がつくことができた旅の良さをお話ししてみます。

  • あたりまえがあたりまえでないことがわかる
  • 考え方の違いに寛容になれる
  • あらためて地元の良さを認識できる

※旅先でのサイクリングのひとコマ@香港 同じサイクリングでもまるで雰囲気が違って刺激もりもりです!

あたりまえがあたりまえでないことがわかる

1つ目は何よりも普段と違う景色、普段と違う習慣、普段と違う人々に接することで、
自分の当たり前が当たり前でないと気がつけることです。

いつも同じ場所にいると、自分が住む世界がすべてのような感覚に陥りがちです。
そもそも慣れた世界なので、コミュニケーションも最低限で済みますし、
とかく思考のリソースを大して使わなくて済むのが良い点ではあります。

逆に考えなくてもできることが多すぎることによって、
このくらい言わなくてもわかるでしょ、的な傲慢な考え方に傾きやすいともいえます。

でも、それが国内外問わず、別の文化圏であれば、
丁寧に背景説明をしなければ、自分の意図を伝えることすら難しいと言う事態が起こります。
気楽な日常生活も素晴らしいのですが、凝り固まった頭をにちょっと刺激を入れたいとか、
自分の当たり前を1段高い場所から見てみたいときには、旅はかなり手っ取り早い方法です。

考え方の違いに寛容になれる

2つ目は、他人に、もっと言えば考え方の違いに寛容になれることです。
1つ目でお話しした通り、自分が暮らす世界と言うのは本当に狭く、
そこの当たり前は局地的な当たり前なのですが、ずっとそこにいるとなかなかその事実には気がつきにくいものです。

それがひとたび旅に出てしまえば、例えばエスカレーターで、どちらに寄って立つかということすら、
たった100キロ離れた程度でもまるきり違ったりします。
(エスカレーターにはそもそも2列で並べと言うお話なのですが)

あぁこの土地ではお客さんにこういう風に対応するんだなとか、
何しとん?なんてちょっと言葉がきつく感じるけど、責めているわけではなくて裏には愛があるんだよなとか。
自分と旅先の土地の他人とを高い位置から俯瞰して客観的に見られる機会がたくさん出てくるのが旅の良さです。

あらためて地元の良さを認識できる

3つ目は地元の良さを改めて認識できることです。
もちろんその逆もあるのですが、比べてやっとわかることはめちゃくちゃ多いです。

旅ではなく、引っ越しがきっかけになりましたが、例えばわたしは大学進学時に初めて大都市圏に住むこととなり、
野菜と言うのはお金を出して買うものなのだとようやく理解ができました。
ご近所さんから常に何か季節のおいしいものが回ってくる生活がずっと当たり前だったために、
恥ずかしながら本気でわからなかったのです。
ちなみにどんなに商店街のどこそこが安いと言われても、そもそも18年間お金を払う習慣が乏しかったために、
都会のその当たり前を受け入れて快くお金を出せるようになるまで1年はかかりました。

話が少しそれてしまいましたが、わたしがふるさと瀬戸内しまなみの外に出かけて帰ってくるたび、いつもほっとしたのがちょうどいいひとけの無さです。
空が広くて、通勤通学時間帯でなければ幹線道路も比較的空いていて自分のペースで移動しやすい。
これは都会では簡単には望めないことですよね。

逆に、私の祖父は生粋の江戸っ子で街育ちのため、わたしと逆でこのひとけの無さが耐え難かったと言っていました。
人それぞれで面白いですね。

少しほっとしてみたい、いつもと違う刺激が欲しい、
そんな方が旅先にしまなみを選んでくださったら嬉しいです。

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